日本に生まれ育っていれば、標準的な日本語の話し方が覚えられる時代になりました。しかし、その歴史は、明治維新以降の大きな教育問題でした。日本は、想像以上に地域ごとの方言差が大きかったので、間違いなく情報を相手に伝えるために、まず、書き言葉の工夫が必要でした。これがほぼ標準化したのは、江戸時代の漢文訓読法でした。明治以降、一国としての標準の言葉、つまり国語教育が重要になってきました。多くの人が交流する地域では、自然発生的に共通に理解できる丁寧な話し方が育ちます。東京言葉がそうです。北海道も東京言葉に近い言い方が普及したことは面白いところです。しかし、微妙な方言区別もあります。北海道言葉は鼻濁音がありません。鼻濁音を使うことの是非は、東京圏以外で論争になったことがあります。ラジオとテレビは、日本語の話し方の標準語化に大きな影響を持っています。標準語の提案は、国家主導型で進める必要があります。その意向に沿い、また普及を図る機関は、官僚的で、権威主義的な組織と受け取られることがあります。よく話題にでる機関の代表は、NHK、朝日新聞社、岩波書店があります。その機関におもねる(阿る)人と、嫌う人がいます。その悪い方の現れ方は、例えば、方言を使うことを低位に見る思いあがりがあります。言語は文化を支えますので、言語を統制すると多様な固有文化が失われる危険があります。 |