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7. 文章構成の学問的な扱い |
7.5 言語教育の光と影 |
7.5.1 敗戦後の国際化が見方を変えている |
日本は、古い時代に中国の漢字文化を輸入しましたので、外国語である中国語文献の翻訳利用に多くの工夫がされてきました。しかし、日本国内では中国語を話す機会は殆んどありませんでした。そうではあっても、明治時代までは漢文を書き、また漢詩を作れることが漢学の素養でした。日本は、明治維新以降、欧米文化を積極的に学びました。その方法は、欧米言語で書かれた文献を日本語で理解するための一方向の翻訳が主であって、逆向きに、欧米語で発信する方の教育は充分にできませんでした。この理由の一つは、他言語を話す人との交流の機会が少なかったからでした。例えば、英作文は、英語を母語とする人(native speaker)、それも教養のある人が見て、正しい英語に校正してもらう機会が必要です。敗戦後、国際化が進み、多くの外国人が日本語を学ぶようになって、彼らが自国の言語習慣と比較して日本語を研究するようになりました。その結果、和文英訳などに、質のよい参考書が見られるようになりました。 |
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