何かの責任者の立場になると、その職務に関連した日誌を残すことは、個人的な素養の一つです。これは、一つの常識でしたので、制度化することをしませんでした。役職を交替するとき、事務引き継ぎは、日誌を渡せば済みました。現代は、一見民主的な合議制で全体活動の意思決定を決めることが多くなりました。トップが毎年替わると、その職務を務めるための帝王学的な素養を修める時間を持てなくなります。意思決定は、議事録を残すことに代わってきました。これは、日誌とは性格の異なる記録です。日単位の記録は残りません。個人的には簡単な手帳を予定表として使います。しかし、人と会ったことなどの詳しい記録を残しておくと、何かの調査のとき、証拠資料として使われることを嫌って、意図的に廃棄することを公言している人もいる始末です。現役を退いた人は、自分の日記を元に自叙伝、自分史など(autobiography)を書くことを素養としました。これには、自分に不利なことも書き残す勇気が要ります。また、所属していた企業の年史を作成することに責任を持つこともしました。そうであると、良いこと尽くめだけではない、生の事実が残ります。一般企業の社史、年史、さらには、権力者や為政者側の歴史編纂なども、都合の悪いことを書かないものです。小説家は、隠された部分を創作することもしますが、これが史実と誤解されることも起こります。 |