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1. 日本も開発途上国であった

1.2 工業製図法の衝撃


1.2.6 高速道路の建設は第二の近代化

 土木関係の製図基準は、国鉄規格主導型で進められ、1954年に日本工業規格JISの一部門として転用されました。専門違いによる固有の習慣にこだわったことは、日本国内だけではなく、国際間でも問題になり始めました。日本の土木技術の場合、名神高速道路の着工(1957)から新しい道路時代が始まりました。世界銀行からの資金を元に計画されましたので、国際入札も行なう必要がありました。技術的には、ドイツのアウトバーンに多くを学んだのですが、このとき、専門ごとに製図法の要求が違うことで図面の書き直しの無駄が多発しました。それまでの基準の考え方は、各方面の習慣をすべて認めることをしましたので、結果として、どのような数値標準も使うことができました。基準化の目的は、例えば、寸法系列の種類を必要最少限に抑えることです。図面用紙の寸法ではA列だけを採用し、B列を省くのがそうです。これらを学識経験者と実務の技術者の双方に納得させるため、理論武装を研究して、1967年になって土木製図基準が大改定されました。

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