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3. 目録の作成からデータベースへ

3.1 文献調査のまとめが最初の目的


3.1.1 欧米文献を有り難がること

 明治以降、日本は海外、それも欧米の文化や科学技術を学んで、近代化を急ぎました。欧米の文物を理解するには、欧米言語で書かれた図書や文献が読めなければなりません。欧米人との直接交流の機会は少なかったので、会話は重要視されず、もっぱら、和訳の能力を高めることで、知識の吸収をしました。外国語を理解できることが、上に立つ人の教養として必須になりました。実践的な科学技術を効率よく育てるには、既に欧米で実績にある事物をそのまま輸入し、次いで、それを真似て(学んで)国産化する方法を取ります。海外文献に載る内容は、多くの実践技術の経験や実験などを踏まえた上で得られた知見です。実践技術の現場から離れた象牙の塔の研究者は、海外文献を翻訳して前例を紹介するだけで尊敬を受けました。明治から昭和の半ばの敗戦まで、日本の科学技術は、表面的な発展にうぬぼれも見られました。それが太平洋戦争の敗戦で打ち砕かれ、再び海外文献に学ぶ研究態度が復活しました。前例のない計画に、自前で研究開発を育てることにも眼が向くようになったのは、1960年代、新幹線の建設技術の頃からと言えるでしょう。これを支えたのは、戦時中の旧海軍の技術者集団を、旧国鉄が引き取ったことが大きな戦力になりました。
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2011」

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