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2. 文字処理と英語用語の理解

2.2 新聞業界での苦闘


2.2.3 文字処理の変革期の話

 アメリカでも日本でも、新聞業界は、鉛の活字を並べる組み版を柱とした人海戦術で作業を進めていたシステムでした。1946年をピークとして年々経営が悪化していき、1950年代の半ばには、大手の新聞社である高級紙のニューヨーク・タイムズさえも利益の減少に悩まされるようになりました。この危機を乗り切るために、ORの研究が始まりました。設備などの合理化も図られてきましたが、ORの研究対象は、軍隊の制御と同じように、人のシステムの作業効率を改善することにあったからです。日本の新聞社でも事情は同じですが、漢字を効率的に扱うことに大きなハンディキャップがありました。ワードプロセッサの開発研究は、新聞紙面1ページをモニタできることを目的としました。現行のパソコンのワープロは、高い解像度のグラフィックスモニタを使うことで、編集と割り付けにWYSIWYG(What You See is What You Get:画面見たままの印刷ができる)が利用できるようになりました。そうであっても、モニタの画面は、A4寸法の書類1ページ全体を原寸で見ることはできません。新聞の場合、1ページはA2の寸法ですので、全体の割り付けを観察できるように、寸法の大きなモニタを利用し、スクロール機能と拡大・縮小表示をしながらページ単位で原稿を編集します。このコンピュータ化が実用の段階になって、ようやく、新聞原稿の電子化保存と利用に眼が向くようになりました。データベースの利用研究は、アメリカ発の新聞・雑誌の情報検索サービスの先行に、日本の多くの新聞社が飛びついたのが始まりでした。しかし、情報検索は、あらかじめ、過去のデータの後始末的な作業が必要であって、眼に見えるような業績に繋がらないので、各社とも急速に熱が冷めてしまいました。それを尻目に、地道な実力を蓄えていたのが日本経済新聞社でした。気が付いてみると、圧倒的なデータ処理能力で他社と大きく水を空けて独走体制に成長したのです。その実力は、各種の「日経…」の表題を持つ多様な出版活動に反映しています。
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2011」

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