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G3. 客観性(3rd person)

(1)
一般論として、事実と意見とを峻別して書きます。論文やレポートでは、著者の意見を直接に書いてもよい場所は、まえがき・結論・提案・謝辞に限ります。

(2)
手紙など、相手が特定されている文書を除き、文章の主語に、私とか、我々といった一人称を使いません。読者に呼び掛ける二人称も使いません。著者は総て三人称で扱います。したがって、論文やレポートの本体文章の中では、敬語や敬称を使ってはなりません。

(3)
主観的な表現と客観的な表現とを峻別します。事実をありのままに描写するのが客観的ですが、それを取り上げたということは、既に主観が入っていることも意識しておかなければなりません。意識的に客観性を出そうとして、かえっておかしいことも起こります。「著者は」などの様に主語がはっきりと意識できるかどうかを一つの判断の拠り所にします。

(4)
修飾語・形容詞・副詞は出来るだけ省きます。特に感覚形容詞は主観的な表現になります。「非常に」「はなはだ」「絶対に」などの副詞もそうです。「重要」「必要」なども主観が入った用語になります。比較級の表現は、比較の対象が主観的にならないようにします。

(5)
「必要である」「注意が必要である」などの使い方をよく見受けますが、必要書類、必要経費、必要条件といった用語のときの「必要」の意味を満たすように使います。具体的には、「・・を確かめる」「・・を見る」などの言い換えも考えます。

(6)
文は、なるべく能動態で書きます。受動態では、主観的な判断を丁寧にしたと受け取られる言い回しを避けます。例えば「・・と思われる」「・・と考えられる」などです。基本的には、他人の考えていることや思っていることは他人には分からないからです。これらの表現は、「・・と考える」「‥と思う」が主観的な表現となるので、客観性を出そうとして、この表現がよく使われます。敬語は受け身の形を使う習慣なので、日本語で見れば不思議に感じませんが、文法的に間違いです。

(7)
「考える」「考慮する」などの言葉は、数学や物理の思考実験で頻繁に用いられます。これらは別の言い回し、例えば「仮定する」「・・・・がある」「・・・・を置く」など、適切な言い換えを工夫するのがよいでしょう。

(8)
推量形、疑問形をなるべく使いません。科学的な方法論では、事実をありのままに、客観的に表現しなければならないので、主観の入る推量形や疑問形があるのはおかしいことになります。また、この表現があるときには、必ず作者や著者が主語に特定されていなければなりません。例えば、「そうだ」「だろう」「だろうか」「と思う」「かもしれない」「といえる」「ちがいない」「はずである」「ほかならない」「に難くない」「想像される」「考えられる」などは主観的な表現です。

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