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1. 土木製図基準制定と改訂の経緯

1.1 公文書としての図面


1.1.4 戦後の復興期に基準見直しの要求が始まった

 明治以降の日本の近代化は、欧米技術に学ぶことから始まりました。鉄道は、主に英米技術に学びましたので、例えば鋼橋の設計に利用する図面は、フィート・ポンド法の図面をそのまま理解して利用し、次いで、それを日本の製図法に取り入れることから基準を決めました。昭和30年(1955)代は、戦後の復興期を脱して、名神・東名高速道路・新幹線・東京オリンピック、などの大型の建設工事が始まった時代です。特に、名神高速道路の建設では、世界銀行からの融資を受けたこともあって、国際入札を考慮した書類が要求されました。同時に、ドイツからアウトバーン(Autobahn)の建設技術が学習されました。その際の製図法は、アメリカ式と対立するヨーロッパ方式でした。国内においても、官公庁や民間も含め、製図法に統一がないことが、種々の問題を起こすことになってきました。図面は、工事の契約から完工後に至るまで、公文書の意義を持ちます。役所が異なると、そこで定める仕様に合わせて図面を描き直す無駄も多く見られました。このような事情がありましたので、土木学会で統一的な製図法を定めることについて、建設関係各界の支持がありました。そうは言っても、機械製図などを含めた工業全体では、各界ごとに従来の習慣も生かしたい要望もあって、JISとしての統一基準の提案には多くの混乱が残っていました。
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2012」

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