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1. 土木製図基準制定と改訂の経緯

1.1 公文書としての図面


1.1.3 JIS規格を尊重はしても従わなかったこと

 土木技術関係で、日本工業規格(JIS:Japanese Industrial Standard)に製図規格を制定したのは昭和29年(1954)です。そのときの委員会の委員長は福田武雄でした。土木製図通則JIS A101を立てることは、土木の製図基準が法的な国家規格に準拠することの宣言に必要でした。しかし、その内容は、前年(昭和28年:1953)、土木学会が編集した土木製図基準の総則部分を、そのままJISに転用したものでした。そのときの土木製図基準は、「総則・鋼構造物・コンクリート構造物」の3部構成でした。その中身の大部分は、それまで鉄道構造物の設計に使われていた内部規格であって、歴史的にはアメリカ技術の影響が大きい製図基準でした。したがって、特にJISに規格化して、それを遵守する態度に頓着しませんでした。このこともあって、JIS A0101は爾来40年間、本質的な改訂が全く行われず、平成6年(1994)になって、ようやく全文の改訂が行われました。その理由は、JIS A101土木製図通則が、当時の製図通則JIS Z8302に準拠する、と宣言してあったため、特に切実な改訂を急がなかったためでした。しかし、土木関係で行われていた製図法は、製図通則とは細かな点で整合しない個所がありました。その中でも典型的な問題は、投影法と、寸法線に対する寸法数字の記入法の2点でした。この相違を強く主張すると、JISの製図法に二つ以上の準拠体系を立てることになりますので、あえて、JIS規格の一部を無視していました。規格と実用とが一致していないことは、工業高校や大学での土木製図の教科書を編集する際に、大きな障害になっていました。特に工業高校の教科書は、文部省の検定を受け、内容は国家規格に準拠しなければならないからです。上に述べた二つの相違点は、30年も後の1984年、JIS規格の方を国際標準化機構ISO:International Standardization Organization)に整合させるように変ったことで、結果的に旧来の土木関係の製図法が整合するようになりました。
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2012」

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