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4. 動詞の話し

4.4 状態の違いを表す言い方


4.4.6 丁寧に言うとき自動詞の受身形がある

 自動詞は、「〜を」でつなぐ目的語を取りません。しかし、日本語では、自動詞を受身形で使う場面が二つ有ります。まず、丁寧な物言いには、自動詞を受身形で使います。例えば、「行く」は、相手(人)が行く(自動詞)動作を丁寧に言う「行かれる」と受身形を使います。「(人が)本を読む」は他動詞です。目的語を主語にした「本が読まれる」は文法的に合います。これも「雅子さまが本を読まれる」のような、文法的には不合理な受身形も使います。この言い方は、主語に人を立てるときにだけ例外的に使いますので、論文などの文章に現れることはありません。二番目、自動詞の受身形には、主語が人であるとき、迷惑の受身があります。「雨に降られる」「釣った魚に逃げられる」などです。「紅葉が夕陽に照らされる」のような文学的な言い方もあります。もう一つ、日本語の自動詞の言い方に、例えば「道を走る」があります。一見すると、「道」に「を」を付けますので目的語と誤解します。紛らわしいのですが、「走る」が自動詞ですので、こちらの「を」の使い方は補語です。したがって「この道は自動車が走られる」の受身形は文法的には違反した言い方です。「この道は自動車が走れる」は、可能の言い方ですが、無生物を主語としていますので、これもおかしいと感じるべき言い方です。理屈からは、「自動車が走ること、ができる」です。尤も、その自動車を運転している人がいますので、レトリック的に、自動車を擬人化した文学的な言い方と大目に見ることもできます。
2010.4 橋梁&都市PROJECT

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