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1. 言語学が関与する環境

1.2 道具としての文字


1.2.1 言葉を音のまま研究対象にすることは難しい

図1.2 仏教の経典の例
 言葉は音ですので、その場限りです。音としての言葉を研究するには、音を記録し、再現する道具が必要です。テープレコーダが手軽に利用できるようになったのは戦後ですが、それを言語学の研究に直接利用したいとしても、研究の焦点を絞り込むことが難しい面があります。したがって、間接的ながら、文字に表した言葉を研究することに頼ります。そうしておいて、文字で記録した言葉を読むことで、擬似的に音声を再現します。しかし、元の音声の特徴を正確に再現できません。日本の仏教の経典は、元の梵語(ぼんご)を漢字で表記したものを中国経由で輸入したものですが、漢字に補助的な振り仮名を付けて読んでいます(図1.2)。元の発音と意味とは全く分かりません。そもそも、どのように読むのかも分からない、古代エジプトで使われた化石言語もあります。他の言語で書かれた文献を解読して意味を理解するだけならば、音に拘る必要がありません。古い時代、日本が中国文化を輸入したとき、また、明治以降、西洋文明を輸入したとき、文字は、意味の理解を優先し、日本風に読みました。中国語の語順は日本語と違いますので、漢文の学習は、返り点を付けて日本語風に読み替えます。考えてみれば、不思議な理解方法です。これは、その言語を話す人との交流が無いためです。英文和訳も、返り点をつけませんが、眼で文字並びの前後を判断しながら語順を替える言い方に変えます。戦後、アメリカ軍の駐留で英語(アメリカ英語)を話す機会が多くなって、それまでの英語(イギリス英語)の学習方法に大きな影響を与えることになりました。
2010.1 橋梁&都市PROJECT

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