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1. 言語学が関与する環境

1.1 言語学が生まれた経緯


1.1.1 狭い言語環境に居ると言葉数が少なくて済む

 日本は、徳川時代、ずっと鎖国で管理されていたことと、島国であることもあって、庶民レベルでは他の言語圏の人との接触がほとんどありませんでした。地域によって方言の違いがあっても、実質的な言語構造は共通です。筆者の経験で言うと、一つの狭い言語環境の中に居れば、言語学的な発想は生まれなくて、必要になるのは実践的な言葉遣いの約束です。最も原始的な言葉遣いは小さな子供に見られ、日本語の環境では単純に名詞を並べます。それも、正確でないことがあります。代名詞の「あれ、それ」だけで済むことも少なくありません。これが舌足らずです。大人は、それを聞いて、「てにをは」や動詞を補って言い換え、子供が言いたいことを確かめます。これが、いみじくも言語教育になっています。大人の世界でも、声に出して丁寧に説明しない場面が起こります。相手は、これを遠慮や慎み深い態度であると好意的に解釈して、言外の意味を察して行動するのが礼に適うと思われています。しかし、現実の話し合いでは、書き言葉で補うなどの手間を省くと、説明が不足し、それを確かめる方法に欠け、思わぬ誤解が起きることがあります。そこで、相手に失礼にならないように、正確に意思を伝える言葉遣いが必要になります。双方の言語環境が異なると、美徳と考え易い言葉の省略は、対話が無いことと同じです。言葉を使わないか、言葉を補うために、喜怒哀楽の感情表現を過度に交える態度は動物的ですので、これを抑えます。特に、怒りの感情はしばしば暴力行動を伴う危険があります。
2010.1 橋梁&都市PROJECT

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