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14. アーチ橋の計算

14.1 石造アーチ橋


14.1.2 石工の経験技術で架設された時代があった

 日本での半円形をした石造アーチ橋は、17世紀頃、中国からの技術移転で主に長崎地方に建設されました。代表的なものが長崎の眼鏡橋です。それを真似て建設技術を確立した「肥後の石工」集団が、江戸末期から明治中期までの約70年の間に、地元熊本県だけにとどまらず、鹿児島県(高麗橋や西田橋、新上橋など)など九州各地に多くの石橋を建設しました。中でも、橋本勘五郎(丈八)は、通潤橋を竣工させた後、明治政府に要請され、皇居の旧二重橋や日本橋などを手がけました。切り石を組み上げて空間を渡すためには、石積みを相互に噛み合わせる力の釣り合いが必要ですので、扁平な弓型のアーチリブの建設はできません。石造アーチの形状は半円形が多く、また、厚みのある起拱部(スプリンギング:springing)を構成しています。明治以降、欧米の橋梁工学に学んで、鋼材や鉄筋コンクリートでアーチ橋を設計するようになって、伝承技術を柱とした石工集団の活躍も終わりとなりました。鉄道橋や路面電車の通行のような大きな荷重に対しても安全な、20m以上の扁平なアーチ構造にするには、アーチリブにも梁としての曲げ剛性を考えることが必須です。また、何もない空間を渡す架設技術と、その力学計算が重要です。ここでは、実際に現存し、供用されている中小アーチ橋の耐荷力を知るためを目的として、従来から実用されてきた設計計算法の方に焦点を置いた解説です。
2010.10 橋梁&都市PROJECT

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