目次ページ   前ページ   次ページ

4 鳥瞰図は画家の創意が入る

4.3 橋は軍事上の重要構造物であること


 日本は、明治維新までの幕藩制度の下で、表面上は平和な時代が長く続いていました。しかし、それぞれの藩は軍備を温存していましたし、他国領内への旅行や通行は、必ずしも自由ではありませんでした。橋は、軍事上の重要な構造物です。明治維新以前は、攻める側も守る側も、橋そのものだけでなく、その周辺の情報を厳重な管理項目にしていました。この規制は、明治維新を期になくなり、庶民は日本全国を自由に旅行できるようになりました。そうなると、橋を架設する要望が一挙に増えることになったのでした。橋が描かれている開化絵が多いことが、その証しの一つです。しかし、世界的に見たとき、国家間では軍事的な緊張がありますので、橋も国防上の視点からの配慮が必要でした。このことは、現在でも世界共通です。海外旅行をするとき、重要な施設、特に軍事施設は立ち入り禁止であることが普通ですし、勝手に写真撮影をすると拘束されることがあります。日本では、第二次世界大戦の米軍の空爆で、かなりの数の橋が破壊されました、戦後(1945〜)、平和国家としての再出発の建設工事では、橋の建設がブームになったのでした。こちらの方は、浮世絵ではなく、写真として記録を蓄積する時代になりました。
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2016」

前ページ   次ページ