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1. 身近な歴史としての明治以降

1.2 ペリーの浦賀入港が文明開化の始まり


 アメリカのペリー提督の率いた4隻の軍艦、通称で言う黒船、の来日は、嘉永6年(1853)です。横浜開港は1859年です。それまでの幕府の鎖国政策から、一転して欧米文物の輸入、模倣、さらには日本独自の創意を交えた開発が入り組んで、一種の文化革命が横浜を起点として始まりました。これを文明開化と言い、江戸時代末期の横浜開港から明治初期にかけての、約20年間の、社会の急激な変動期を指します。明治維新は、薩長土肥の連合による、言わばクーデターです。欧米文化を取り込む文明開化の起点は横浜でしたが、明治維新(1868年)から江戸(東京)へと流行の波が移動し、東京が一大文化圏に発展することになったのでした。その象徴的な技術移転が、新橋・横浜間の鉄道の建設でした。最初は単線の鉄道馬車、ついで蒸気機関車を使う鉄道(1872)、そして複線化が1881年に完成しました。祖父が利用したのは複線化の直後です。なお、東海道線の全通は明治21年(1888),です。その年、この東海道線を利用して関西から厳島までの観光旅行をした日記も残っています。大井川の鉄橋連数が16あると数えた記述があります。
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2016」

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