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99. 終わりに


 論理学は、相手に正しく理解してもらう実践的な文章の話し方と書き方について、その規則を学問的に扱います。文学的な作文は、扱いません。その基本単位に、主語と述語とが揃った文(命題)を考えます。その文を細かく見るとき、名詞や動詞などの品詞の使い方を踏まえなければなりません。そうすると、言語学、さらには文法の知識が必要です。しかし、これらの品詞をどのように定義しておくかについては、触れていません。名詞、つまり、物や事を表す言葉は、或る一つの概念を持たせることが約束です。同じ名前を、場面によって異なった概念で使うのは、論理学では虚偽です(第1.3.14項参照)。これを避けるため、改まった文書では、そこで使っている用語の定義を説明する章を加えます。英語ではglossaryです。国語の辞書では、漢字の二字熟語を説明するとき、和語での言い換えをしています。一方、同じ概念であっても、別の言葉で言い換えることが増えてきました。日本語の環境では「和語に無い言葉に漢字の熟語を当てる;欧米語をカタカナ語にして使う」などに見られます。どれかに統一して利用するのが論理学的には正しいのですが、併用することもありますし、また、省略語に変更することや、勝手な造語を提案することさえあります。これは文学作品では大目に見ることもしますが、実用文書を作文するときには、修辞学的であって、論理学的には虚偽になります。

 日本語は、英語から見れば曖昧な表現であるとの批判を受けます。しかし、日本語の環境に居る限り、曖昧さを意識することはありません。これは、言葉の背景に文化があるからです。言語学は欧米からの輸入学問ですので、欧米語の言葉の習慣に基づく、特に説明されない、常識的な規則を理解しておく必要があります。日本語に翻訳するときには何とか理解できることであっても、逆に日本語から欧米語に翻訳して発信する場面になると、相手側が正しく理解できなくて、曖昧である、との批判を受けることが起こります。この解決には、両方の言語に達者な人が作文の添削をするのが最善でしょうが、現状では日本人側が勉強することに多くの努力が必要です。言語習慣の違いの大きいものは、名詞の扱いがその一つです。英語を例にすると、名詞は単数・複数を厳格に区別し、冠詞の使い分け(a, the, なし)が意味を限定し、さらに動詞の活用とも関係を持ちます。集合論は、集合名詞の常識を踏まえています。

 一方、動詞について言えば、日常頻繁に使う日本語の動詞、例えば「とる、みる、ひく」、英語では「take, see, get,など」は、耳で聞いても誤解されることはあまり起こりません。日本語では場面に応じて漢字1字を当てて、視覚的に意味を補う方法を使っています。日本語の「とる」は、「取・採・撮・執・摂・獲・盗・捕・録…」のような使い分けをしています。英語では、前置詞を補った句動詞(phrasal verb)で区別して使っています。これらの動詞は、言語ごとに使う習慣と場面が多様ですので、一対一に適切な翻訳を当てることが難しいのです。これらの問題を扱うのは、学問と言うよりは、話し方を含め、文章作文の技術と考えることができます。この冊子「易しくない論理学」では、この技術の説明を話題として取り上げません。英文和訳と和文英訳の場面で起こる種々の話題については、今までに興味深い著作が幾つも発売されています。これらの著作の要点をまとめて、作文技術の教材にすることは、現在計画中です。

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(2012年6月版)
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2011」

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