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0. はじめに


 0.1 論理学の素養が必要になる理由
 この報文の原稿は、学術レポートを作成するときの教材として作成した実用文書のまとめ方の副読本として編集したものです。実用文書を作ることは技術です。これには三つの要素があります。第一は、正しい文章が書けること、第二が文書の書式、第三が全体としての体裁です。第一の要素には、学問としての論理学(logic)の素養が大切です。この学問は、従来は文科系の専門と考えられていました。小学校時代に始まる作文教育では、「思ったことを書きなさい」のような感情移入の文学的な作文で済ませてきました。社会人の教養として必要になる正しい話し方や作文の素養を埋めておく教育過程が抜けています。欧米の大学教育では、教養課程にtechnical writingを必修としています。これは、多くの言語環境から集まる学生に対して、正しい理解が得られるための話し方と書き方の約束が必要だからです。日本では、世界から見れば狭い閉鎖的な単一言語環境でしたので、文学的、またはレトリック的な物言いを良い方に評価する傾向を産み、誤解されない話し方教育よりも、道徳教育的な見方がされてきました。理科系の専門では、論理学の教養をそれほど注目してきませんでした。しかし、初等幾何学は、歴史が古く、文章を使う論理学的な方法を利用していました。このこともあって、初等幾何学は、計算を主題とした代数学とは別の扱いがされてきました。コンピュータのプログラミング言語では、論理式が使われます。これらの使い方を理解するためには、理科系・文科系の区別をしないで、古典論理学の基本的な知識を埋めておくことが重要な素養です。

0.2 集合論との関連が問題を複雑にしている
 論理学の研究対象は、形を持った物(具象)ではなく、概念(考えや判断)です。思惟(thinking)とも言います。具体的に扱う対象は、言語で表現された文です。これは物(名詞)ではないので名辞の用語が当てられています。文の中身は、何かの判断や断定を表し、これを命題と言います。何かの命題を、対立する二つの性質に分ける考え方から出発するのが二値論理学です。近代以降、これに代数学的な方法も応用されるようになりました。代数学は、論理の展開が厳密にできる利点があります。
 一方、数学として扱う集合論(set theory)は、に(これも論理学の用語)、代数学的な考え方を言葉で説明するときに論理学の言葉遣いを利用します。全く同じではなく、微妙に言い替えの別用語や記号体系があるのが混乱の元です。集合論は、一つ二つと数えられる普通名詞で表すことができるような、物をモデル化して扱います。これを名辞に代えて要素と言います。要素を複数集めたものを集合(set)として扱う新しい数学は、カントール (Georg Ferdinand Ludwig Philipp Cantor, 1845- 1918)に始まるとされています。集合論は、高校の数学で紹介されるようになりました。この説明の中に論理学の用語が使われます。一つの物でも幾つかの性質を持つとする考え方を含んでいますので、多値論理学の考え方があります。基本的な考え方は、二つの性質に限定した場合で利用します。ここに二値論理学と共通に利用する用語や記号があります。高校までの教育では、論理学そのものを文科系の科目として扱う場面がありません。

0.3 作文指導には論理学の知識を応用する
 論理学を具体的に応用する場面は、主に、文章作成のときの、単語の選び方と文の繋がりを合理的に構成するときです。作文の校正と言うよりも、推敲の場面と考えるとよいでしょう。単語と文の繋がりを司るのは、主に接続詞です。その基本的で代表的な用語は「および、かつ、〜ならば」の三つです。淡々と客観的な過去や現在の事象を記述する場合は、この三つで済みます。説明、証明、予測などの文では、作者の思惟を丁寧に追加するため、「〜ので(順接)、しかし(逆接)」のような文単位を繋ぐ接続詞も使います。しかし、省いても意味が誤解されることはありませんし、それが推奨されてもいます。一般社会で利用する作文は、相手が居て、その人に説明して納得してもらい、さらに、何かの作業をして貰うことを目的とします。その人に、日本語の分からない外国人、また、コンピュータも擬人化して含めます。このとき、こちらが考えている日本語の意味を正しく英語またはプログラミング言語などに翻訳できるように、元の日本語文を注意深く作文しなければなりません。このとき、論理学の素養があることが重要です。最初の段落で説明したように、「実用文書のまとめ方」は一種のマニュアル的な使い方を目的とした編集ですが、この「易しくない論理学」は、学問としての論理学の、おさらいを目的とした教科書として使うことが目的です。

0.4 古典的な論理学は二値論理学である
 論理学は、正しい思考(考え方)の形式・法則を研究する学問です。一般論として、学問として扱うときの態度には「物事には何かの美しい法則があるのだ」という思い込み、前提、想定、仮説、信念、または信仰に近い考え方があります。乱雑に見える部分を除き(捨象する)、純粋または本質的な部分を取り出す(抽象する)操作をします。用語としての抽象と捨象とは、英語の用語ではどちらもabstractです。悪口を言えば、美味しそうなところのつまみ食いです。学者が使う「想定外」の弁明は、都合の悪そうな考え方を捨象したことの言い訳に使っているので評判が悪いのです。古典的な論理学は、アリストテレス(Aristotles、B.C.384-B.C.322)にまで遡る二値論理学を基礎におきます。二値論理学は、欧米の文化的な背景にしっかりと組み込まれていますが、日本の文化には三値論理学的な考え方が多く見られます。多値論理学は、1920年ころから研究されるようになった新しい体系です。そのため、欧米の論理学を日本に紹介した明治時代の学者の著作では扱われていませんでした。二値論理学には欠点もあるのですが、複雑さを捨象して(真・偽)の二つに分類する前提(仮定:premise)で組み立てる方法ですので明快です。多くの重要な考え方も得られています。このこともあって、この教材では、主に、二値論理学について解説を扱い、その上で、三値論理学の説明を補います。

0.5 用語を理解することから始める
 論理学の言葉自体、また、論理学に使われている漢字熟語の大部分は、明治初期、西周(にし あまね:1829-1897)らが欧米の文献を日本に紹介するときに造語した和製漢語です。和語には抽象的な意味を持つ用語が少ないので、漢字の造語能力を生かした熟語が多く工夫されました。用語としての抽象捨象具象具体も理解し難い用語です。西周らは、漢学の素養がありましたので、かなりの数の和製漢語は、漢字本家の中国でも受け入れられる用語になりました。これらの用語は特殊です。それまでの和語には無かった概念(考え方)を使いますので、論理学自体も難解な、つまり、易しくない学問の印象(イメージ)があります。論理学は、相手に正しく理解してもらう話し方と、判り易い文章を作文するときとに必要となる実用的な技術を、理論的に支えます。形式論理学(formal logic)は、思考の中身を切り離し、記号化して、形式・法則を研究します。記号化を徹底したものが、記号論理学(symbolic logic)です。論理的操作を代数学的に行うようにしたものです。記号体系には種々の提案があります。このことは、コンピュータのプログラミング技術にも応用されています。コンピュータを擬人化し、この人にプログラミング言語を使って話しかけ、理解してもらって仕事をしてもらいます。この分野の一つを人工知能(AI; artificial intelligence)と言うようにもなりました。プログラミング言語では、記号論理学の発展としてブール代数(George Boole;1815-1864)が使われ、科学技術の分野でも論理学の素養が必要になってきました。古典的な論理学の対象は、日常生活に使う言葉とはやや距離のある文の、概念判断推論を扱います。これに対して、社会で使われている文の論理を扱うことを非形式論理学と言うことがあります。人間社会では、相手に言葉で説明し、説得し、理解してもらうために、間違った言い方も見られます。その一つが修辞学レトリック rhetoricです。こちらは、論理学の対立語に位置づけますが、正しい論理に対して虚偽の扱いとします。詐欺は、意図して悪い方に応用することですが、だます意思が無くても論理的に嘘になる論旨が虚偽です。これは、正しい論理学の反面教師(毛沢東の造語と言う)的な意義がありますので、虚偽の知識も重要です。

0.6 英語の用語が増えたこと
 古典論理学の歴史が古いこともあって、欧米の論理学用語は、ラテン語起源のものが多く見られます。戦後は英語の用語が多く使われるようになりました。コンピュータ技術はアメリカ主導型で開発され進歩してきましたので、論理学の用語にも英語が多く使われるようになりました。例えば、連言、選言、否定、真、偽の用語に代えて、英字のままAnd, Or, Not, True, Falseを使うことがそうです。論理学を勉強するとき、以前から使われてきた漢字の熟語と、英語の用語とが、混在するようになりましたので、初心者はその意味を理解することが最初の難関です。それに加えて、特殊な論理記号も見られます。これらの用語と記号の意味は、本文中で解説しますし、索引からその場所を探すこともできます。しかし、主要な用語や記号などは、最初に説明しておく方が理解に便利でしょう。この報文の原稿は、教材を目的として1991年に作成しました。このときは、用語の定義などを付録とし、本文ページから見れば後ろの方にまとめました。科学技術関係のマニュアルでは、用語や記号の定義を本文ページ構成の最初に置くことが普通ですので、この報文では第1章として独立させることにしました。

0.7 論理学の前に言語学があること
 日本語は、英語の環境からみれば、曖昧さが多いとされています。しかし、これは日本語が不完全な言語であるのではなく、言葉の使い方が不適切であることの方に罪があります。世界から見れば、日本は、方言違いを別にすれば、一つの言語だけが使われていますので、他の言語環境の人との間で誤解を生じないような表現方法に無頓着なところがあります。狭い村単位の地域ならば、言葉を省いても、また、そこだけで通用する言葉(隠語など)を使っても不便を感じません。多くの地域から人が集まる大都会では、結果的に誤解を防ぐ標準化が育ちます。国家的にこれを進めることが、日本ならば国語教育です。これは母語を日本語とする日本人を対象に考えられてきました。ところが、海外からの外国人留学生や、帰国子女に改めて日本語を教えようとなると、合理的な教育技術が育っていないことが問題になってきました。英語では、個人単位の家庭教師であっても、程々の教育技術を理解しています。これは、論理学の問題よりも前の、言語学の課題です。その実践的な手段が翻訳技法です。最も単純な英文和訳の方法は逐語訳です。英単語単位で日本語の訳語を当てます。対応する言葉がないときには造語が必要です。それに続けて、単語並びの文に助詞(がのにを)を加え、日本語の語順に変えます(例えばSVO→SOV)。この技法は、漢文訓読法でレ点と返り点を付ける方法と同質です。さらに、日本語の動詞は活用形を選びます。日常言語とはズレがありますが、意味は正確に理解できます。なぜ正確になるのかの理由を支えている骨格が、実は論理学にあります。英文和訳は、擬人化したコンピュータを介する自動翻訳が実用的なレベルに達しています。しかし、逆の和文英訳は、みじめな成果しか得られていません。その理由は、元の日本語が論理学的に見て不完全な骨格になっていることの罪が大きいからです。したがって、作文をする本人自身が、論理学を踏まえて努力してもらうことが必要です。

0.8 英語と日本語との異同を理解しておくこと
 明治以降、欧米の学問を日本で学ぶためには、欧米語で書かれた文書を日本語の文書表現に直す翻訳が必要です。このとき、言語構造の違いによる理解の過程に混乱が生じます。表音文字のアルファベットで表記された文を、意味をそのまま伝えるように翻訳するとき、表意文字である漢字を利用することは理解に役立ちます。元の語をカタカナ語で使うことは、原語の知識があれば何とかなりますが、原則として評判は良くありません。欧米語では表意文字がありませんので、表記を短くするため、省略表記、頭字語、または記号に代えますが、その定義や紹介を別に造ります。これらを声に出して読むことが普通に行われ、その場合には省略前のスペルで言います。例えば「a=b+c」の代数式は、「a is equal to b plus c」の言い方を記号化して表したものです。日本語では「aはb足すcに等しい」と読むのですが、「b足すcは、aです」の逆の言い方が普通ですし、電卓を使う計算も「b + c = a」の順でキーを打ちます。これは、主語(S)・述語(V)・目的語(O)の語順の約束と関係しています。英語は、文字の並びと処理の流れが逆になることがあって、コンピュータに処理を指令するコンピュータ言語は、コンパイラが実計算の処理の流れに合わせるように翻訳します。論理学も集合論も、数式表現をすることで合理的な研究ができる利点があります。しかし、実社会で作文や話し方に応用する段階は、文章表現です。

0.9 名詞と動詞の機能を理解しておくことが基本
 文構成の最小単位は、主語と述語の対です。主語は名詞が普通です。英語の環境では、名詞の単複を神経質に区別し、単数扱いをする集合名詞もあります。これが動詞の活用形にも影響します。標準的な動詞は、英語の環境ではbe動詞とそれ以外の一般動詞との二種類に大別します。これと対応する日本語の言い方が、文体としての「です・ます調」です。「です」がbe動詞に当たります。ただし形容詞の終止形に使うときに幾らか困ります。少し硬い文は「である調」一つです。こちらはbe動詞も含め、動詞一般の終止形に使い、形容詞は終止形をそのまま使います。「猫は動物です」「猫は動物である」はbe動詞の形と考えることができます。ここで、猫は一般名詞ですが、英語の環境ではcatだけでなく、単複を区別し、冠詞を含めて使い分けます。動物は英語の普通名詞animalが当たります。しかし、意義的には集合名詞の性格も持ちます。したがって、語順を入れ換えた「動物は猫です」は誤りになるのです。「或る(数の)動物は猫です」は正しいのですが、名詞を入れ換えた「或る(数の)猫は動物です」の言い方は誤りです。集合論ではこれを明確に区別し、論理学がそれを理論的に支えます。文学的な作文は、意図して論理学的に誤った言い方も使いますし、それを容認することもしますが、実用文書では字面(じずら)の裏の意味を読者側が理解することを期待しないように注意した作文をします。この読者にコンピュータを含める時代になりました。このことを考えて、最後の章構成の論理学の応用では、人口知能の話題を追加してあります。
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2012」

 
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