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3. 数を表す方法

3.5 錬鉄トラス構造が新しい技術であった


 明治の初め、新橋・横浜間の鉄道建設の全体は、技術輸入でした。それには、レール、蒸気機関車、客車などに大量で大寸法の鉄鋼材料が使われます。橋の部材製作と組み立ては、当時の日本の鍛冶屋には手に余る技術でした。新橋・横浜間の鉄道橋は、当初、すべて木橋でしたが、明治14年(1881)複線化の完成のときに、すべて輸入鉄橋に架け替えられました。トラスは、斜めの部材を組み合わせて桁として機能するようにに組み上げる構造です。日本最初の錬鉄トラスは、横浜の吉田橋(1869)です。現在は存在しなくて、錦絵として見ることができます。トラス本体は、左右の欄干と機能を共用した構造ですので、通路の上は開いています。これをポニートラスと言います。トラス本体が横倒れしないように、床の横桁とを斜めの部材が支えています。一方、吾妻橋(1887)は、支間も長く、大きな通行荷重を考えていますので、全体の桁高も高く、通路の上を横桁で繋いだ、本格的なトラスです。なお、現在の吾妻橋は1931年に架け替えられた鋼の3連上路アーチ橋です。
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2016」

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