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3 浮世絵で技術情報を埋める

3.3 日本橋の技術史が面白い


 日本橋は、東京を代表する橋としての象徴です。創加は、徳川家康の時代の1603年です。木橋の時代は、腐食もありますが、火災などで何度も架け替えがありました。文明開化時代の架け替えでは、幅員を広くし、馬車の通行ができるように勾配が緩やかになり、また、ガス灯などの照明設備も設けられました。明治5年に橋本勘五郎が石造アーチに架け替えたとき、それまでの擬宝珠付きの木製欄干から、洋風のトラス組の欄干に代わりました。それも、車道と歩道とを分離するため、4列並びでした。これは評判が悪く、明治19年頃には車道を仕切る欄干が撤去された図が残っています。現在の石造アーチは、1911年の架設です。幅員を広くし、鉄道馬車、さらに市街電車の敷設など、重量交通にも安全な構造へ架け替える要望に副うためです。京橋も日本橋と合わせるように、架け替えられました。しかし、戦後、首都高速道路の建設時に撤去されました。以前あった二代の京橋の、親柱とガス灯がモニュメントとして現地に残されています。日本橋の方は、その真上を首都高速道路が塞ぐ形になって、景観美が台無しになってしまいました。アーチ形式の構造の力学的な解析方法は、20世紀に入った頃からです。それと共に、経験技術で架設していた石積みアーチ橋の時代は終わったのでした。
科学書刊株式会社:電子版 「橋梁&都市 PROJECT: 2016」

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